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講演会を聞いて

8月7日(金)近現代史から見た現代政治の問題点
「つながる塾」主催の講演会が行われた。講師はノンフィクション作家の保坂正康氏。


まとめたものを紹介しよう!

私は、昭和14年生まれ75歳だ。癌も見つかったが初期段階で治療済み。老いた身体だが、とんでもない時代になりそうで、今、声を挙げておかなければ悔いが残る。

戦後70年が取りざたされている。戦後70年の積み重ねがあっけなく崩れる状況。何のための70年だったのか?

その意味では、自分は怒っている。安倍首相の言動から3つの分析。

①形容詞をよく使う。これは子どもが喋るのに似ている。例:大きな被害、絶対的な危機の場合・・・、
話すとき立論が無く言葉だけになっている。注:立論とは「主張の論証。つまり、ある計画を採用する場合、メリットとデメリットが発生することを、理由付けとデータで証明すること。」

「私は絶対に○○しません」や「総合的に判断して・・・」

③3~5分間で説明が終わる。色々な言い方はするが、同じことしか言っていない。あるメディアの依頼で1日中、特別委員会を傍聴したが、問題の矮小化がひどく、日本もこんなに劣化した国かと悲しくなる。








日本の近現代史

さて、本題に戻そう!日本の近現代史はどのような流れを辿って現在に至ったか、そのことを具体的に検証するとともに、今、私たちはどのような時代に生きているのか、そのことを確認するのがこの講演の狙いである。

これらを判りやすく解明するため、昭和史をひもとき、太平洋戦争の持っている致命的な欠陥から始めたい。

【太平洋戦争の致命的欠陥】

① 軍事が政治をコントロールした。

長い歴史の中で、軍事が政治をコントロールしたのは日本だけである。「軍」の目的は「勝つまでやる」「国に奉公する」ことである。それ以外は眼中にない。国に奉公すると言うことは、①領土の拡大、②賠償金を取ることである。太平洋戦争の開始は一体全体どこで決めたのか?立法も司法も軍に対して口を挟めない軍の優位性。軍が政治をコントロールし、社会全体の価値観を変えていった。

② 特攻作戦と玉砕というシステムを国家のシステムとして採用→これも日本だけである。特攻兵は陸・海・空軍で3,900名(8月6日NHKでは4,500名と報道)の犠牲者。その7~8割は学徒兵や1718歳の少年。士官学校や海軍兵学校生はほとんどいない。このような人を育てるために、国が教育を行い金がかかっているというのがその理由。ここで人の生命に値段(格差)がつく。消耗品扱いとされ、弱い人から死んでいく。このために「美化」していく必要性がある。世に発表される遺書と特攻兵の本当の気持ちとは違う。突っ込む寸前の生の声が通信司令室にあったが一切発表されず。例えば100名の兵隊組織のうち30名が死亡した場合(他の30名はなにがしかの怪我、残りは戦う意欲がなくなると想定されて)玉砕と定義される。しかし、日本の場合は、最後の1人が亡くなるまでを指す。この思想が、本土決戦を叫び一億総特攻に結びつく。
③ 国際条約を無視した。第1次世界大戦後、日本も「捕虜」を一般市民と同様に取り扱うとの「ジュネーブ条約」に調印した。しかし、太平洋戦争突入の17年1月になると、「この条約は我が軍には何のメリットはもない。日本軍人は捕虜にならないから・・・」として、無視した。「捕虜になることは恥ずかしいこと」との教育が徹底された。
④ 終末点のない戦争明治以降の軍事については、直線的に進むフランス軍事学やドイツの皇帝の軍事学を学んだが、日本には軍事に対する哲学(思想)が無かった。このため、兵隊に葉隠れ精神(特に死ぬことと見つけたり)の思想を植え付けた。アメリカ軍の本土上陸作戦を想定し、中学生は道路に穴を掘って待機し、戦車が上陸してくると爆弾をリュックに背負い体当たりする戦術も考えられていた。

太平洋戦争の犠牲者(死亡者)は310万人(兵隊240万人、民間人70万人)と言われているが、実際には5~600万人が犠牲となっている。この犠牲になった人たちが、愚かなことをしないでくれ!太平洋戦争の教訓を後世に知らせてくれ!と、訴えている。これに私たちは応えていかなければならない。

昭和の時代

昭和の時代は、62年と2週間が昭和の時代。大正151224日までは大正時代。1225日から31日までの1週間が昭和元年である。そこから昭和64年1月7日までが昭和(翌日の1月8日からは平成元年となる)。

この62年と2週間の間に32名の内閣総理大臣が誕生した。なんと在任期間の短いことでしょう。

ここで昭和を大きく3つに分けてみよう。

①前期(戦前、戦中):昭和元年~20年8月15日(著名な総理大臣は東条英機)
中期(連合国の占領地):20年8月15日~27年4月27日(著名な総理大臣は吉田茂)
後期(戦争状態終結後)戦後:27年4月27日~64年1月7日(著名な総理大臣は田中角栄)
 この3つに区切った昭和は全く違った社会状況である。私たちは異なった顔を持った「昭和」の時代を語っていくべきである。
 笑い話的に言えば、3人の著名な総理大臣に共通していることは、3名とも刑務所生活の経験者である。どの時期においても昭和の影には必ずアメリカがからんでいる。A級戦犯7名が処刑されたのは231223日、翌日・24日には容疑者岸信介氏等が釈放されているのは、「アメリカに2度と逆らうな!」のメッセージではないか


教訓を未来の社会に引き継ごう
昭和史を分析していくとき、特に太平洋戦争の痛切な反省からスタートし、平和と希望を持ちここまでやってきた。この教訓を生かし続けなければ、今私たちは生きている資格がない。
質疑応答で「徴兵制」や「国民義勇軍」の話題が出た。直接「徴兵制」にはならないだろうが、非正規労働者や働く場のない人たちが多い昨今、「国民義勇軍」とか「自衛隊予備軍」とかのボランティア的に人を集める方法を考えるなど、きな臭い話も出ないとは限らないですよ、と話された。

by turbo1297 | 2015-08-18 11:47 | その他 | Comments(0)